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ひと足出遅れる艦これ記

石橋を叩いても渡れない艦これ攻略日記です。

佐世保に行ってきました!〔Part.2〕

今週は雨が降ったり止んだりな天気でした。

梅雨に入ったということを感じますね。

まあ、ジメジメするし蒸し暑いし、好きな季節ではありませんけど(笑)。

 

さて、今回は佐世保レポート第二弾です。

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写真は夜の佐世保駅やや南西側からの風景です。

前回のレポートはこちら。

佐世保市中心部を中心にした、佐世保公園・ニミッツパーク」「海上自衛隊佐世保史料館」「佐世保東山海軍墓地を取り上げました。

今回は、その旅行レポートの続編です。

主に佐世保市の南部にあるゆかりの地の紹介です。

 

浦頭引揚記念平和公園

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佐世保市中心部から車でハウステンボスの方に向かって約40分、浦頭(うらがしら)にある戦後の引き揚げに関する公園です。

引き揚げに関しては舞鶴の「舞鶴引揚記念館」が割と有名ですが、佐世保にもこのようなものがあります。

写真は公園にあるモニュメントです。

舞鶴引揚記念館」に関してはこちらでレポートしています。

 

資料館もあります。入館料は無料。

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舞鶴の資料館と比べれば、観光地化もほとんどされておらず、あまり観光ガイドにも載っていないような感じなので人気もなく、静かに見学することができました。

・・・まあ、行ったのが朝早かったこともありますけどね(笑)。

中は資料が雑然と並べられているので、舞鶴の記念館ほど見やすくもきれいでもありませんが(汗)、内容はどれも戦争の悲惨さを物語るものに変わりはないです。

ガイドの方がいることもあるそうで、館内放送でも説明が受けられます。

引き揚げの歴史というのは、先の大戦でもあまり知られていない内容の一つですが、ここで多くの方が祖国に戻ってきた時はさぞ嬉しかったことでしょう。

とはいえ、引き揚げ途中や上陸後に検疫中に亡くなった方も多数いるとのことで、その方たちの無念さを考えるといたたまれない感じにもなります。

 

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写真は上陸地点と検疫所の跡です。

霧がすごかったのですが、なんとか見えました(笑)。

ここで引き揚げた方々は、ハウステンボスすぐ近くの南風崎(はえのさき)駅から、自身の出身地へ帰って行ったそうです。

旧海軍の歴史を見るのももちろん面白く考えることも多いですが、こうやって違った視点で過去の歴史を見てみるのもいいですね。

 

針尾送信所(旧佐世保無線電信所)

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先程の「浦頭引揚記念平和公園」から車で15分程度。

今回の佐世保旅行でメインの目的地の一つだったのが、この「針尾送信所」です(笑)

この送信所周辺を走っていると、巨大な3本の何かがずっと見える異様な感じの風景です(汗)。

名前の通り、基本的に送信専門の塔だったようです。

この塔がある針尾島に造られた理由としては、海軍佐世保鎮守府が近くにあること、土質が非常に良好であったこと、周りに遮るものが少ないこと等が有力説として挙げられているそうです。

あの有名な電文「ニイタカヤノボレ一二〇八」を発したとされていた送信所ということで、割と有名のようですが、実際は千葉県船橋市にあった船橋送信所が送信したという説が有力のようです。

ただ、送信した記録は残っているとのことらしく、時間差や距離等の関係もありそうですね。

最近になって国指定重要文化財に指定され、見学もできるようになっています。

もちろん無料ですが、維持管理のための募金に協力してほしいとのこと。

 

入り口で受付し、ガイドの方同行で見学します。

近くで見るとこんな感じです。

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でかい(笑)。

高さは135m(1塔は137m)あり、大正時代に造られた電波塔としては最大のものらしいです。

最近の調査で、コンクリート製で建造されて90年以上経過しているにもかかわらず、内部のさびがほぼ見られないということで、非常にモノとしても優秀な造りになっているそうです。

また、各塔はほぼ正三角形の頂点に位置しているそうで、かなり大規模な施設であることがうかがえます。

少し出っ張っている窓には、見張り員がいたとかいなかったとか(汗)。

 

中はこんな感じでした。

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ずっと梯子がありますが、あれをずっと伝って上っていくのは骨が折れますね(汗)。

しかし、これだけのものを大正時代に造るとは、本当にすごい技術力ですね・・・。

滑車をかけるようなところがあったり、リールを巻いたりする機械があったりしたので、それらをうまく使ってあそこの高さまで積み上げていったのでしょう。

 

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送信所の中心部付近には、宿舎があったところの土台が残されています。

つい最近まで海上自衛隊の方がここで業務されていたということもあり、そのような建物もありますね。

さすがに現在は無人となっています。

 

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針尾送信所の旧入り口です。

門柱がなんともそれっぽい雰囲気ですね(笑)。

この上の鉄製の門のようなものは、いつ何のために造られたものか不明ということです(汗)。

戦時中で機密扱いされていたこともあり、資料がないというのはよくあることですが、ここでもそういうことがあるようですね。

 

中央にある電信室。

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草木でだいぶおおわれていて、独特の雰囲気がありますね。

ここで通信制御をしていたようです。

戦時中には1階部分を地下に埋め、さらに建物上部の出っ張り等が追加され、草木で覆って敵の攻撃からカモフラージュしたとか。

ただ、周りの塔が非常に目立つので、効果があるかどうかはちょっと怪しいような気もします(汗)。

ちなみに、各送信所から約150mの場所に位置し、万が一等が倒れてきても電信室には損害が無いように計算されて造られているそうです。

 

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なかなか面白いスポットでした。

土曜日の朝方は人も少なく、車がないと行くのは少々大変ですが、これほどの塔を間近で見ることはそうできないですし、ガイドの方の話は聞いていて興味深いので、個人的にここはおススメです。

どうやら電信室は将来改装して公開するとかいう話もあるらしいので、公開になったらまた行ってみたいですね。

 

無窮洞

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ハウステンボス駅から南に車で5分程度。

洞窟ではないですが、「無窮洞(むきゅうどう)」です。

恐らくかなりマイナースポットで、受付名簿にも1日当たり数人程度の名前しかなかったですが(汗)、戦争遺構であり関連施設ということでちょっと行ってみました。

ここでも受付後ガイドの方同行で見学になります。

もちろん無料ですが、ここでも維持のために募金をしていました。

 

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中は非常に大きな手掘りの防空壕

これが近くの旧国民学校の生徒の力によって手で掘られたということが驚きです。

今の小学生や中学生に当たる年齢ですが、この年齢の人だけで作られたとはなかなか考えられない規模です。

ある程度の支援はあると思いますが、中はかなり広いのですし、炊事できる部屋、天皇の写真を飾る部屋、このような講堂のような部屋、トイレ等、結構きちんと区画が分けられています。

500人とか600人とかの生徒がいたようですが、なんとか全員避難できる広さが確保されているそうです。

 

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昔は床は底上げされており、下に水が流れるように工夫がされていたそうです。

また、この写真の鉄格子の向こうは、山の上からも脱出できるように穴が開いているとのこと。

危険なので立入禁止ですが、いろいろ考えられて設計されていることがすごいですね。

敵の攻撃から身を守るために、この規模の施設を学校総出で掘っていたとは、それだけ戦争の恐ろしさを体感できる場所でもありますね。

かえって、戦時中はこればかり毎日掘っていたせいで、終戦後は勉強がついていけなくなったという話もあるとか。

長崎に原爆が落ちた時にも、被爆者がここにきて手当てを受けたという話もあるようです。

貴重な遺構なので、今後も大切にしてほしいですね。

 

これら3つは佐世保市南部で、バス(場所によっては列車)も走っていますが、車移動がベストですね。

今回は2日間レンタカーで動きましたが、恐らく公共交通だけだと移動が大変です。

観光地を巡るようなバスも走ってないので、公共交通で行く場合は時間をよくチェックしていきましょう。

 

今回は以上です。

次回は佐世保レポートPart.3です。